かずっちゃ(kazutcha01)です。
プロフィールは13,000字を超えています。その記事を5話構成にして再編集しています。長すぎるわ!!と思ったあなたはこちらを読んでください。
それでも読みたい!!って思うあなたは全収録版をどうぞ。
41歳で公務員を辞め、フリーランスに。17年の苦悩と自分の心に正直になるまで。
ぼくは、2018年3月31日をもって、いままで17年間地方公務員を退職しました。これからは会社に属することなく自分の旗を振って生きていきます。
世間では安泰・安定と言われる公務員。実際は、公務員でいることに17年間悩み続けました。
なぜ?
「一度きりの人生、自分の生きたいように生きたい」という思い。その根底には、「ぼくは会社に行って働くのはいやだ」と子供の頃から持っていた社会に対する違和感があります。
公務員っていう安定した職を捨てて何をしようとしているんだと思う人がほとんどでしょう。
ぼくは後悔していません。
いまやっている仕事、就職活動など、敷かれたレールを歩くことに少しでも違和感を感じているなら読んでみてください。
きっとあなたの気持ちを知るきっかけになるはずです。
結婚、実の姉との再会:26歳〜34歳
心から笑えない状況に苦しめられるようになった翌年のこと。
定期異動があり、ぼくは今までいたIT関係の部署から土木系の部署、「建設課」へ配属されることになった。
今までいたクリエイティブな仕事とは真逆のインフラを整備していくための部署で、既存の道路や水路を維持したり、土地の境界を確認したりといった仕事がメインで、まさに土方系。
いちばん大きく変わったことが、住民のぼくらへの対応。
住民の身近な道路や水路などの話になってくると、やはり感謝より苦情で庁舎に来るケースが多く、態度のあまりの変わりように驚きっぱなし。
公務員の部署異動は頻繁にあることで、3年経つと異動の対象になるというのが慣例です。
役所へ行ったことのある方ならご存知だと思いますが、住民票を発行する戸籍、保険、税金の相談などの窓口業務もあれば、土木・水道などのインフラ整備を担当するなど、異動になるとほとんど転職と変わらないくらい業務内容が変わります。
ぼくはこの部署に9年間所属することになります。
苦情に耐える、自分が好きだったことからかけ離れた仕事をすることになったこの9年間は確実にぼくを精神的に追い込んでいきます。
そして、実の姉との出会いで心境に大きな変化をもたらします。
ぼくの大きな支えになってくれる妻と結婚
そんな苦しい状況のなか、ぼくは結婚しました。
相手は美容師で、飲み会で知り合ってそのまま結婚まで。
結婚して2年目に長男を授かり、その2年後には次男も授かりました。
嫁さんと子供たちにはとても助けられています。
なんとか9年間土木系の仕事をこなすことができたのも、新しくできた家庭というものがぼくを支えてくれる大きな柱になってくれたから。
実の姉との出会い
そんな折、実の姉と会う機会が訪れます。実の姉は『石原詢子』といって、演歌歌手をやっています。紅白にも1回出場した経歴の持ち主。
たまたま近隣の町にイベントで訪れることになり、会うことになりました。
会って思ったことは、やっぱり兄弟姉妹っていう感覚はありませんでした。代わりに、好きなことを仕事にしている姉に刺激を受けました。
姉の顔がとても生き生きとしていたことがとても印象的でした。
この出会いで、ぼくは心の奥底に沈んでいた縛られることが嫌・会社に行かずに仕事をしたいという気持ちが再び持ち上がってきました。
この出会いが、3度目の立ち直りになります。
公務員を辞める決意:35歳〜41歳
再び土木系への異動
そして、ようやく訪れた異動先の部署は・・・ 上下水道を扱う「水道課」
目の前が真っ暗になりました。
土木一般を扱う建設課に引き続き、上下水道を扱う水道課への異動。
さすがにこたえました。
しかも、水道課の庁内でのうわさは「地獄の部署」として有名で、かなりきつい部署だということは知っていて、まさか自分が配属されることになるとは思いもしなかった。
この水道課が自分が配属された最後の部署になります。
配属後の仕事は、下水道施設の維持管理でした。
こういった下水道施設は、利用している人から料金をもらって維持管理をしています。当然支払いがとどこおる人もいるわけで、そういった人に対して未払いの料金を取りに行くと行った仕事も含まれます。
もう、入庁当初のIT推進といった未来のある仕事はどこへやら、どっぷり役所の仕事につかっている自分がいました。
最初にも言ったとおり、職員のみなさんは親切で優しい人が多いです。
ですが、ぼくはそろそろ限界でした。
心から笑えない自分、その理由が自分がやりたいことができない、達成していないこと。加えて、生産性のない役所の業務に嫌気がさしてきたこと。
この2つの気持ちは、IT関連部署から異動になったときからずっと育ってきたもの。
もっといえば小学生から持っていた縛られたくない、好きなことで仕事がしたいという思いが強くなったんでしょう。周りにも見えるくらい気持ちが出てしまっていたのかもしれません。
加えて、姉との出会いによる好きなことを仕事にしたいという気持ちの復活。
少しづつ職員の人たちとの意識のズレが、ひずみとなって表面化してきました。
出張先で偶然見つけた記事でブログの存在を知る
2015年11月は、公務員の界隈では地方創生で盛り上がっていました。
そんな中、出張へ向かう電車の中で地方創生を変わった形で擁護する記事を見かけました。
イケハヤこと、イケダハヤトさんの記事です。地方創生を擁護する彼はどんな人なんだろう。という好奇心から、イケハヤさんの記事を読みあさりました。
『ブログで稼ぐ』っていうことをこのときはじめて知りました。こんな自由な生き方・稼ぎ方があるんだという衝撃を受け、ブログを始めようかなと思い始めた瞬間でした。
今思えば、ここがターニングポイント。
決定的な出来事。裏切りとパワハラ
そんな気持ちの変化が、仕事にも影響を及ぼしはじめ、同僚で仲間だと思っていた職員から過去にぼくが担当した工事でハメられる事件が起きました。
1歩間違えれば裁判というところまで行きました。なんとか表面化せずに事なきを得ましたが、決定的なダメージを食らいました。
さらに追い討ちをかけたのが、上司からのパワハラ。いい人が多かった職場ですが、その人はかなり特殊・時代錯誤な考え方の持ち主で、平気でパワハラをしてくる上司で有名でした。
あたりが悪く、水道課に異動に。
そこで標的にされたのが、気持ちが揺れていたぼく。重箱の隅を突くように書類や仕事に難癖をつけ、小学生かよ!と思うような徹底的な無視。挙げ句には機関銃のような陰口の拡散。
ここはドラマの現場かよ!!っていう典型的パワハラを食らいました。
辞める決心とプログラミング学習
もうこれ以上いても、職場に迷惑もかかるし何より自分が保たない。
加えて、家庭でも妻の独立起業に加えて、家庭の事情が表面化。
リスクは高いが、17年越しの夢を叶えるためのチャレンジをした方がいいんじゃないかという結論に達しました。
公務員を辞め、新しい世界へ。
ぼくが辞めた後に稼いでいくために勉強することを決意したのがプログラミング。
辞める3ヶ月前からTech AcademyでフロントエンドとWebアプリケーションを学習。なんとかなるレベルまでは上がってきたと感じてます。
それこそ、小学生の頃からの長い間ゲームやPC、インターネットの分野で仕事ができると思った瞬間、目の前がパッと開けました。